シアワセのカタチ

結婚して 主婦になりました。嬉しい事に 結婚式後にすぐ妊娠。無事に息子が産まれてきました。 新たな人生のスタート記念に 日々の事をブログにまとめて残そうと思いました。

28歳の私から 35歳の私へ 【ひとりになること】

昨日 Less is moreのブログを書き終えて ふと あ~あの本 今また読み返したいなぁと思う本がありました。

 

先月里帰りした時も ちょっと気になったのですが 荷物が増えるしと思い 持ち帰りませんでした。

 

で どんなこと書いてあったかな~と考えた時に そういえば当時 この本にとても感動して mixiに日記書いていたことを思い出しました。

 

お気づきの方もいらっしゃると思いますが 私がはてなブログを開設したのは今年の3月で その前はアメブロ そして一番初めにブログを知ったのが mixiでした。当時はネットで自分の考えが表現できるのが面白くて 2年くらい続けていました。

 

この頃は今後の生き方について 真剣に悩み 模索し 答えを求めてとにかく気になる本を読み漁っていました。

 

まさかこの私が 結婚して もうすぐ母親になるなんてね。完全なる未来の自分へのまとめ日記ですが 折角なので 35歳の私に 残そうと思います。

 

※長文なので 興味ない方はスルーして下さい

 

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9月に北海道へ行き、念願の島根&鳥取への旅行後、私の中で非常に大きな変化がありました。
それがハッキリ分かったのが、帰宅後に出会う本の種類が明らかに変わったことです。その後出会う本は、今後の人生観、私のこれまでの価値観が、一体誰によって作られて、そう思い込んできたのかをハッキリと認識させてくれるものでした。

特に年末に出合った本の中で、印象に残った文章を引用します。

「あれもこれもと、分断される日々。あちこちへの気配り。これらは女性と一体化してしまっている。」

「問題は女と仕事、女と自立といった事だけではなく、もっと根源的なこと、つまり気を散らさなければやっていけない生活の中で、どうすれば自分自身でいること、自分であることを失わずにいられるか。」

「完璧な答えを、外側に求めるのは不可能だ。外側は一つの方法、光にたどり着くための一つの道でしかない。本当の答え、真実はいつも内側に隠されているのだから。」

「勿論誰も、自分が孤独であるとは認めたくない。何とかしてその事実から目をそらそうとする。孤独とは、人に拒否されたり、仲間はずれにされたりするのと同じように思われている。
今日、私たちはひとりになることを恐れるあまり、ひとりになることができなくなっている。
いつでも空想にふけることが出来た昔のほうが、まだしも創造的だった。空想は自分自身の中の何かが必要だし、自分の内的な生活を豊かにしてくれるものだ。
しかし今、私たちは孤独の空間に自分の夢を咲かせる代わりに、実は聞いてもいない絶え間ない音楽やテレビ、おしゃべりで、孤独の時を埋めているのだ。それらは、ただそこにあり、空しさを満たしているだけなのだ。
私たちは今こそ『一人でいる』ということをもう一度初めから学びなおさなくてはならない。」

そして一番納惹かれた文章
「技術的な意味では、私たちはこの数十年の間に沢山のものを獲得したが、精神的にはむしろ知らないうちに失ったもののほうが多いのではないだろうか。」

50年以上前に、5人の母である女性が書いた本です。妻であり、母であり、その前に一人の女性である彼女が、海辺の家で、余計なものを一切排除し て、海辺の貝殻を通じて自分自身と向き合う内面を書いています。 私はまだ独身で、子どもはいませんが、日常で使い分ける自分の『仮面』、常に作られる人 から見た自分という観点では、非常に共感するものが多くありました。
この本を紹介してくださったのは現役の主婦の方です。彼女には私より、もっと強く感じるものがあったのではないでしょうか。

北海道を訪れて三日目、私は完全に一人でした。誰も私を知らない土地で、誰の目も気にすることなく、感じるままに写真を撮って、好きなように車を停めて歩いたり、座ったり、湖に足を入れたり、運転しながら歌ったり…etc。
本当にあの時、私は自分自身であり、自分のことしか考えていませんでした。

北海道の大自然に純粋に感動して、これはそのときにも書きましたが、どんどん幼少期の飾らない、駆け引きも損得も無い、純粋な頃に戻っていくような、不思議な感覚のなかにいました。

そしてそれが、『周りからのイメージの私』ではなく、『私の知っている私』になっていたと、年末に上記の本を読んで気づきました。


旅行中、自分の内側を探っていくうちに、知らないうちに本当はそんな望んでいないのに、周りの価値観に合わせている自分を知りました。怖いもので、本当にそれが正しい事で、そうでなければ幸せではないのだと、思っていました。

「『幸せ』ってなんですか?」と聞かれたら、あなたは何て答えますか?

大きな家に住むこと、美味しい物をお腹いっぱい食べる事、買い物する事、いいホテルに泊まること、旅行に行く事、家族がいること、結婚する事、趣味があること、仕事があること…。どれも正しいことじゃないですか。
何が幸せなのかは、その人にしか分からない。自分で決めればいい事じゃないですか。

ただ、この資本主義社会の中で生きていくためには、仕事もしないといけないし、お金もいる。ニュースや新聞の情報によってコントロールされて、常に競争させられる。
だけどそれがあったから、あるからこそ、世界はここまで発展したのだと思う。そしてそれに順応して、バリバリ働く人がいる一方で、全く異なる分野 で才能を開花させる人もいる。お坊さんではないですが、こんな世の中でも俗世から離れた生活をしている人も存在しているわけで。 

『豊か』になる事は、誰にでも与えられた権利だ。ただその『豊か』さを、物質に求める人もいれば、精神的に求める人もいて、両方求める人もいる。 その豊かさの感じ方、受け取り方は人それぞれであって、自分で選択すればいい。幸せの価値観は、他人と比べるものではないと私は思う。

一体何と戦っているのだろうか。誰に勝とうとしているのだろうか。誰かよりも幸せになってやるって、一体何なのだろう?
私は誰かに勝とうとか、誰かよりマシになりたいとか、もうそんな事は本当にどうでも良くなってしまった。

結局、物質も社会的に得られるものも、自分の『外』にあるものであり、そこだけを求め続ければ、永遠に満たされることはなく、常に失う恐怖に怯え て暮らす事になるのではないだろうか。そこに生きがいを求める人がいたって、ちっともおかしな事ではない。もしその人がそれを求める事で幸せを感じている のなら。

こないだ読んだ本に、フォードが「今ある全て(社会的地位、財産、家とか)を失ったとしても、一年以内に取り戻す自信が有るよ」と語ったことが書 いてあった。本田鍵さんのユダヤ人 大富豪の教えに登場するユダヤ人のメンターも、「このアタッシュケースだけあれば、どんな国にいってもダイヤを売っ て、今と同じ状態で暮らせるよ」と言っていた。

これは私の個人的見解ですが、彼らは『外』のものに捉われていないだけでなく、私たち一般の人間が気づいていない『内』に何かを発見して、それを 自分の物にしているからこそ、こういう発言が出来るし、何にも捉われていないし、何も恐れていないのではないのかな…って感じました。

「お前の考えは間違っている」なんて、言える人がいるだろうか?
生まれたときから全て正しく生きている人なんて、一人もいない。

「私はこれが幸せなのだ」って、一人ひとり、堂々と言えばいいじゃないか。自分の幸せは、自分で決めればいい。

他人の勝手な価値観を植え付けるべきではないと私は思っている。
たとえそれが、親であっても、家族であっても、親しい間柄だとしても。
勿論参考にしたり、自身の経験からアドバイスしたりする事は、本当にいい事だと思う。
だけど最後の『選択』は、自分でしないとね。
人のせいにするくらいなら、自分で選択して、責任とって、間違えて、学んでまた挑戦すればいい。死ぬわけじゃない。


自分自身がそうだったからこそ、これは声を大にして言いたい。
最近読んだ一番お気に入りの本の一説。


完璧な人ではなく、完璧な自分になる。
(人生は製作中の絵画のようなものだ)


間違った色を塗ることもある。偶然色が混じって、最高の絵画になる事もある。まっ白に戻して、もう一度初めから描き直す事もあるかもしれない。
でもそのキャンバスに何を描くかは、自分で決めていいし、そのときのベストを尽くせば、ステキじゃないか。

常に答えは自分の中に。そして競争は自分自身と。

本当の意味の 『孤独』を楽しめる 自分になること。

28歳は 益々充実した一年になる予感がします。
10月に出会ったある本のお陰で、私は自分の才能を開花する事に決めました。もう無理に抑えたり、我慢したりしない。
だって明らかに楽しくて、ワクワクして、夢中になっていられるから。

何かをするために、何かを犠牲にしたり、我慢したりは私には出来ない。
今はまだ発表できませんが、もう少し落ち着いたら、ここでも発表していくつもりです。

敢えて書く必要はなかったかもしれませんが、何もカッコつけて、隠すような事もないので、ありのままの自分の感情を書いてみました。

10年後にこの日記を読んだときには、また別の感情を抱いている事でしょう。それはそれで、本当に楽しみだな。

自分が毎日幸せと感じて生きられる事。そして私に関わる、沢山の人が笑顔でいること。今の私は、それしか考えていません。

コンプレックスだらけの私を変えてくれたのは、周りにいるみんなの暖かい言葉。みんなが私の長所を認めてくれたからこそ、今日の私がいます。いつもありがとう♡

 

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28歳の私へ 

 

35歳の私は 結婚して色々悩むこともありますが 日々の小さな幸せに感謝して過ごしています。何が自分のシアワセのカタチなのか 28歳よりも分かっています。ぶれない軸が 少しずつ 私の中で育っています。

 

そして この著者のように もうすぐ母となります。今またこの本を読み返す時期が来たのだと。今の私は 何を思うのか。